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「カッチカチやぞぉ」なんて芸人のネタもあるけど、そういえばいつでもカチンカチンやったのは自分もいつの頃だったか。年取るのはイヤだねぇ… とかそういうシモな話ではなく、きわめてまじめな話(汗)。「カチン」というタイトルのポーランドの映画を偶然見た。
いや、youtubeって便利なのよ(笑)。2007年の映画だそうで、まだ日本では公開されてないと思うが(てか公開されるかどうかもあやしいと思うが)、なんと全編見ることができる。夜中に偶然見つけて、一気に全部見てしまった(汗)。いや、著作権とかいろいろ問題はあると思うけど、こういうのは万人が見るべきたぐいのものではないかと思うので、商売とかそういうことを抜きにすると、悪い面ばかりでもないと思う。そもそも人類共有の文化遺産ともいうべきものすら、個人の金もうけの道具にしようとする、行き過ぎた著作権の考え方には賛同できかねる。これに関しては、「個人の著作権などというものはそもそも存在しない。その代わり、創作者の生活は国家が保障する」という旧ソ連のやり方のほうが、理屈の上では正しいような気がしてしまう(まあ、国家の方針に反した創作はできなくなってしまうちゅう問題はあろうがね)…
…と、そんなこともどうでもよくて(汗)、すごい映画でした。ポーランド史の暗部である「カチンの森」に真っ向から立ち向かった力作。こうした作品が、事件があってから70年も経たないと製作できなかったところに、この国の不幸があらわれている気がしますが、その分この映画は気合い入っていて、監督はワイダ、音楽はペンデレツキ。ワイダの演出はさすがの骨太感。ペンデレツキの音楽は旧作の寄せ集めっぽいけど、そんでも、ラストで画面が真っ暗になって一瞬「アニュス・デイ」が流れるところとかは感銘深かった。
前半は普通に歴史の悲劇をなぞる感じのタッチだけど、中盤の、戦後の共産政権下でこの問題に触れるのがタブーになっていったポーランドを描くあたりで、俄然迫力が増して重厚になっていく。人物の描き方はリアルというよりはどちらかというと理念的・観念的だが、後半のややこしい政治状況が背景になってくる場面でこれが生きてくる。ラスト近くの、姉妹が墓地で対決するシーンが、個人的には一番印象に残った。弟の死に関して真実を公言して逮捕される妹と、口をつぐんで新生ポーランドで教師として生きる道を選ぶ姉。姉が「生きている人間より死んだ人の方が大事なのね」と言うと、妹は「私は殺した人間の側より殺された人間の側につきたいだけ」と答える。映像もセリフもきわめて美しく、象徴的といってよいほどの強さを持ったシーンだ。
同じポーランド出身のポランスキーが撮った「戦場のピアニスト」という映画に背景は似ているけど、こちらのほうがより骨太で重い感じがするのは、個人ではなく群像を主人公にして、かつ、戦後まで続くポーランドの政治的な不幸に焦点を合わせているせいだろう。「戦場のピアニスト」にあったセンチメンタルな要素がほとんどない、厳しく抑制のきいた描写も、個人的には好ましい。
いずれにせよ、見ごたえのある重量級の映画が好きな人にはこれはおすすめ。たまにロシア語とドイツ語が聞こえてくる他は全編ポーランド語なので、そのままではちとつらいが(汗)、そこがまたyoutubeのすごいところ、なんと英語字幕つきのも全編上がっている。興味ある人は、消される前に見ておくことをお勧めします。
http://www.youtube.com/watch?v=mM1zyQ_zffM&feature=related (そもそも「カチンの森」とは何か知らないちゅう人は、こことかどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )
ずいぶん久しぶりにチーモンチョーチュウがネタをやっているのを見たが、なんだか上手くなっていてびっくり(笑)。頑張って欲しいなぁ。菊ちゃんかわいいし(そこかい)。 それはともかく、お仲間の皆さんは知ってる人も多いと思うけど、ある大学の運動部の学生が、こっち系のビデオに出演したことが表沙汰になって退部処分になったとか。「またか」という感じだ。 そもそも、麻薬とか、明らかに法律で禁止されていることをしたわけでもないのに、この種の制裁を加える根拠がないだろうとか、いろいろあるけれど、何よりまずおっちゃんが声を大にして言いたいのは、「見つけた奴、黙ってろよ」ってこと。 例によってネット上の掲示板がそもそもの発端らしいけど、だいたいこの手のビデオをお仲間以外が見るわけもなし、最初にビデオ見て気づいた奴はやっぱお仲間だろう。で、お仲間でこの手のビデオを見たってことは、そりゃーやっぱ抜いたってことだろう(笑)。そもそも、それ以外の目的で見るビデオじゃない。てことは、要するに、世話になったってことだろう(まあ、お目当ては他のモデルだったのかもしれんが)。曲がりなりにも、世話になった相手に対して、恩をあだで返すとは何ごとだ。そういうのは許せん。 そもそも、匿名の掲示板で、自分は一切リスクを負わずに相手を陥れるちゅうのがけしからん。百歩譲って、もし個人的に恨みでもあるなら、包丁を2本買ってきて、1本は相手に渡して、堂々と刺し違えろ。それが男というもんだ。ほんとに、心根がカッコいいってのがどういうことかを知らん、ひたすら自分ばっか甘やかす気色悪いネチネチしたオカマが多くてイライラする(←偏見) なんだろう、これはお仲間に限ったことではないと思うのだが、それでもやっぱりお仲間さんには多いなと思うのが、他人に対する優しさがない人。なんと言うか、自分に対して得でも損でもないときに、相手を喜ばせるような態度・行動を無意識に避ける人が多いような印象がある。それで自分が損をしてしまうような場合に、他人に好意を示せる人が少ないのは理解できるが、どっちでもいい時に相手を喜ばせるのをわざわざ避ける底意地の悪さは、なんだか感じが悪い。「ゲイの人は、いろいろつらい思いをしてきているから、人の痛みがわかる優しい人が多い」なんて世間の女性なんかは勝手に思っている人が多いようだが、実際はそうでもなくて、なんか逆に、「自分がつらい思いをしているんだから、他人だけノーテンキに楽しそうなのは許せない」みたいな、ひがみっぽい人がむしろ多いような印象がある(汗)。まあそこまで言うと言い過ぎかもしれないが、他人の痛みに対して冷淡な人・他人に対して優しくない人が多いのは残念ながら事実のような気がしている。そうじゃないと思いたいし、実際そうじゃない人もちゃんといることは確かなのだけどね。 と、いうわけで、別にあなたにとって得にも損にもならないんだから、もしビデオでどこそこ大学のなになに部のだれそれ君がいろんなことしてるのを見つけちゃったとしても、「へー、ユニフォームの下はこんなんなってたんだ」とひそかに萌えるだけにして、自分の胸のうちだけにしまっておきましょうや。 …なんだろう、あるいは、こういう攻撃をする人って、「ゲイである自分」を受け入れきれてないから、自分がちゃっかり利用している「ゲイ的なもの」一般に対する敵意があるってことなのかな。だとしたら(悪いけど)もっと気色悪くて嫌だが、いずれにせよそれはその人自身の問題で、それに他人を巻き込むのは間違っている。一人でとっとと首吊って死ねばいいだけのことだと思うが、違うか? なんにしても、わずかなりとも楽しませてくれた相手(笑)に対しては、「まあ、元気で頑張って幸せになれよ〜」(あと、「病気には気をつけろよ〜」汗)と応援こそすれ、陥れて不幸な目に遭わせてやろうなんて思わないと思うんだけどなぁ。わからん。しかも、ほんとに、自分にとって何の得にもならんのに。てかむしろ、自分の人間としての価値を著しく下げてるように思うんだけど。自ら好んでそういうクズみたいな人間になって、いったい何が楽しいのか。
ふとしたきっかけで、「ゴトランド人の物語」(Gutasaga)なる文書を読んでみた。ゴトランド島の歴史(というか、伝説)をつづった短い散文テキストで、13世紀のゴトランド語で書かれている。微妙に音が違ったり語尾が違ったりするけど、古アイスランド語の知識があればまあ読める。最初のところが大変印象的でなかなかいい感じ。北欧人サイコー(笑) Gutland hitti fyrsti mathr than sum thieluar hit. tha war gutland so eluist at thet daghum sanc oc natum war uppj. En thann mathr quam fyrsti eldi a land oc sithan sanc thet aldri. 「ゴトランド島を最初に発見したのは、スィエルヴァルという男だった。当時ゴトランド島は魔法にかかっていて、昼には沈み、夜になると浮かんできた。しかしこの男がはじめて島に火を持ってきて、それ以来島は沈まなくなった」 人の生活が始まって、それまで謎めいていた土地が知識の中に定着し、もはや消えなくなる。いかにも古代的な、簡潔でぶっきらぼうな描写の中に、人と土地との関わりが静かに浮かんでくる。素敵だ。これで昼と夜が逆だったらもっとよいのだが、と思う。夜になると暗闇になって、海に沈んだように見えなくなってしまう島に、はじめて灯りがともり、夜中に遠くからでもちゃんとあることがわかるようになる。黒々とした夜のバルト海の荒波の向こうに、ぽつんと小さな灯りがともっている。ひっそりとした人々の暮らしが、しかし確実に始まった気配。素敵じゃないですか〜。(て、これは単なる俺の妄想で、実際のテキストでは、「昼には沈み、夜になると浮かんできた」と書いてある。この方が魔術めいた気配はより濃くなりますな。いずれにせよ、幻の土地だったものが現実の世界に属するようになった、とそういうことでしょう) daghum「昼に」とかnatum「夜に」とかの処格的な与格の用法や、eldi「火をともなって」という具格的な与格の用法は、いずれも前置詞を伴っておらず、ずいぶんと古風な感じがする。散文ということに限れば、同時代の古アイスランド語や古ノルウェー語よりアルカイックな感じがする。案外、伝承そのものはずっと古いのかもしれない。ただ、同じテキストの後ろのほうには、gangnum manathi「ひと月が過ぎると」という与格を使った分詞構文があり、これはどう見てもラテン語の絶対奪格節の模倣と思われるので、実は意外に新しめのLatinismenに過ぎないのかもしれない。ちょっと興味のあるところだ。
いや、別におっちゃんがわざわざ言ったからってどうってことでもないんだけどね(笑)。なんか自分のまわりでは、「オードリーに食われてかわいそうな感じになってる」イメージが強いようで。いや、オードリーはオードリーで確かに面白いとは思うけどね。若林君のトークうまいし。
M1は見ていなかったのだけど、ノンスタイルが優勝したと聞いて「順当だな」とは思った。前から、吉本の若手のうちでは漫才が一番上手いコンビだと思っていたので。ただ、あとからネットの動画でM1のネタを見たら、実際あまり面白くなかった(汗)。得意の「いきりネタ」をあえてやらなかった意気は買いたいが、いきりネタのほうがやっぱり面白い。M1でしかノンスタイルを知らない人には、ぜひこういうのも見てみて欲しい。
http://www.youtube.com/watch?v=sKGgWPcTMNg&feature=related ただまあ、今年になってからのノンスタイルは、急にテレビとかの出演が増えたせいもあるんだろうけど、なんか前みたいにのびのびしてないというか、自分らなりのスタンスを失ったというか、チャンピオンの実力を見せなくちゃみたいな(オードリーには負けてないぞ、みたいな)焦りが見えるようなところがある。漫才の技術は抜群だと思うけど、フリートークは決して上手いとは思えないし、テレビのバラエティで使い捨てにされて飽きられないといいのだけど。サンドウィッチマンのように、有名になろうがテレビで引っ張りだこになろうがスタンスを変えず、斜に構えて今までどおり、のほうが、見ていて安心できる。
オードリーの芸は確かに面白いんだけど、M1が漫才のコンテストと銘打っている以上、やはりあれで優勝というわけにはいかないんでしょう。あれはやっぱり、春日君のキャラ芸であって、漫才とは少し違う気がする(話のネタそのもので笑えるわけではないので、極端な話、ネタがどれであっても、漫才全体には変化がなくてどれも全部おんなじになってしまう)。若林君はもともと話も上手くて面白いし(ボケだった時はインパルスの板倉君を意識しすぎてる感じがしたけど、ツッコミに変わって個性的になった)、春日君も少しずつ面白いことを言うのが上手くなってきたと思うので、うまく飽きられずに末永く生き残って欲しいなぁと思う。若林君かわいいしね(性格は春日君の方が素直でいい奴そうだが笑)。
でも個人的にはオードリーは、昔やってた「ショートアメフト」とかの意味わかんないパンチ力のあるネタが一番好きだった(笑)
関係ないけど、これ偶然見てめっちゃ笑った。有田君すげー。間のとり方とかめっちゃうまい。ほぼ即興でこんだけできるのはすごい。さすがの貫禄やね(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=MCvRFCsBnOE&feature=related
ちゅうわけで、おじさんイチオシのお笑いコンビ、ライセンス。無限大の無料ライブが昨年終了して、吉本オンラインちゅうネット配信番組に変わった。はじめ2時間に時間が延びたので「ほぉ」と思ったのだが、これがちとキツかった(汗)。 女性客の多い無限大では意識してセーブしていたのであろうシモネタがバンバン出るところとか(笑)、力の抜けたラジオのようなトークのノリはそれはそれで楽しかったのだが、いかんせんテンションが低すぎた(汗)。特に藤原君のテンションが低すぎで、毎回2時間はかなりキツイ感じだった。ライセンスは、井本君の面白さはどちらかというと天然系な感じで、意識して笑いを作っていくのは藤原君のほうなので、藤原君の気分が乗っていないとどんどんグダグダになる。 客を入れればいいのに、と思う。時間が遅いとか、場所が本社とかいろいろ問題はあろうが、15人でも20人でも入れればずいぶん違うのに、と思う。結局有料にして月1程度で復活させた無限大ホールでのトークライブの映像がYoutubeに転がっていたのを見たが、めちゃめちゃ面白くて、1時間があっという間だった。ああいうのだったら、2時間でも3時間でも聞きたい。たとえネットの向こうで何千人が見ていようと、やっぱり目の前で笑っている客の反応が見えないと、気分が乗らないのは当たり前だろうと思う。 最近、さすがにスタッフも危機感を感じたのか、ブログをテーマにした企画ものに番組を大きく改編して、以前のダラダラ感は減った。今後さらにどうなっていくのか楽しみだ。ただ、個人的には、改変直前の頃の、会社やスタッフや後輩や最近の若者に対して、(主に井本君が)ブツブツ文句を言いまくる、ボヤキ漫談みたいなノリのトークはけっこう楽しくて好きだった。若い視聴者からは、本気で心配されちゃったり、逆に「もっと楽しい話をしてください」とリアクションが来たりとか、いまいち不評だったようだが、同世代ちょっと上のおっさんとしては、上と下に挟まれていろいろストレスたまる30代になったライセンスの基本的にまじめな感覚が、よくわかるような気がするわけである(笑) 最近テレビ番組でもちょこちょこ見かけるようになった。企画もののリポーターのような役回りでは、好青年なキャラクターを生かしていい感じの仕事ができていると思うが、ひな壇ではいまいち前に出て行けてないかな。2人ともまじめ過ぎるのかと思う。特に、そういう時に回していくのは井本君の役割だと思うが、先輩がいるとひたすら立てるし、逆に後輩と一緒だと後輩にせっせと振って前に出してやろうとする。うざがられても自分が前に出る、というようなところが全くない。はじめから知っている人間には、そういう2人の良さがよくわかるのだが、知らない人には、ルックス以外あまり印象に残らないコンビ、と思われてしまうかも(笑)
ぼけっとテレビ見とったら、なんとマサがCMに出とるやないか(マサ=窪田正孝君。なれなれしい>俺)。
おじさん、ケイタがはじめてフラネットのCM見た時ばりにひっくり返ったぞw(わかんない人すみません)。
http://www.kirin.co.jp/about/toku/ad/kirinfree/index.html (これの「ファミレス編」)
ほー、ビールか。そういえば、もうハタチになったんだもんな。ビールのCMもありやな。…て、ノンアルコールかいっ。
てかこれ、女の子とは「カップル」って設定だったのか。…見えん。(^_^;
次は笑い声以外にもセリフのあるやつだとよいね。(^^;
夏目漱石の「こころ」。いや、すごいテクニック。見事な文章だ。無駄が一切なくて、削ぎ落とせるものは全部削ぎ落としたような飾り気のない文体なのだけど、実に的確にずばっと物事や心理の核心をつかんでしまう。深いし強い文章だと思う。現代の小説だと言われてもあまり違和感ないほど、客観的な視点に貫かれたドライな手触り。構成も見事で、ただの一つも無駄な描写がなく、全ての文・全ての表現・全ての場面にちゃんとそれぞれの目的がある。まさに息詰まるような緻密さ。人物もわずかな描写で皆生き生きと個性をもって鮮やかに描き出される。各々の人物が、他人に見せている部分と見せていない部分をそれぞれしっかり描きこむことによって、心理が交錯しあう部分に奥行きが出て、驚くほどリアルになっている。とにかく、ほんの端役に至るまで、人物の描写に嘘くささが全くなく、本当に実在する人のような現実感があるのは素晴らしい。第二部の、父親の死を看取る家族の様子など、細部に至るまでこれがフィクションだとしたら、本当に驚くべき想像力と描写力だ。日本文学の中でも、小説の技術としてこれほど完璧なものはやはり他にはそうないと思う。これなら、テクニックに関して、世界の文学の最高級のものとも堂々と渡り合えると思う。漱石が、近代日本文学の生んだ最高の作家、と言われるのもよくわかる。 …技術に関しては。(^^; こんなに、ものすごいと言っていいほど見事な小説なんだけど、この話の内容に関しては、正直どうなんだろうと思う。こんなことを言うと偉い人たちに怒られるかもしれないが、ひとことで言って、この話は下らんと思う。なんじゃこりゃ。こんな素晴らしい技術を駆使して、いったい何書いてんのこれ?(汗) 明治の知識人像の総括、といえば聞こえはいい。確かに、あくまで客観的に示そうとしているのは立派だ。に、しても、知らず知らずの間に作者の共感が流れ込んでくるのはいかんともしがたい。何しろ半分は自画像なんだろうから、しょうがないんだろうけど。 というか、今「知らず知らず」と書いたが、決してそんなことはない。漱石は意図的にやっている。「私」をわざわざ登場させて、「私」の視点からこの嫌らしい「先生」という人物を描くのは、読む者の感情が自然と若い「私」の心情と同化して、「先生」をなにかひとかどの人物であるかのように捉えるようにさせるための手の込んだ誘導に他ならない。もしこれを完全に戯画として描いたなら(「猫」でやったように)、乃木大将の殉死が明治という生き方の終焉と重なるというアレゴリーも生きただろう。ただこの「先生」はあまりになまなましくて、その描写は生真面目に過ぎて、作者自身の批判的視点が入り込む余地がほとんどない。その結果、乃木大将の殉死の衝撃はあまりに唐突で脈絡がない感じがして、それがこの作品のほとんど唯一の構成上のほころびをも作っている気がする。 まあ、そういうこともともかく、個人的にはなんちゅうてもこの「先生」が気色悪くていただけないのだ(笑)。何じゃこの男は。ひたすらはた迷惑なだけで、文字通り何にもしてないし、死ぬのですらまわりの者をいろいろに引きずる。大体、どうせ死ぬなら、結婚して奥さんを不幸にする前にとっとと死ぬべきだし、自分の半分くらいの年の若い奴のとこへ何十ページもある遺書(っていうか自叙伝)を送りつける神経もどうかしてるし(まあ、これは小説の技巧だからしょうがないけど。(^^;)、大体、どうでもいい恋愛沙汰の裏切りで何十年も悩み続けて何もしないでそれでも生活できるブルジョワ加減にいらいらするし、そもそもこの友人のKなる男も霞食ってる頭でっかちの典型でいらいらするし(石川啄木がモデルだという説もあるようだが、要するに、小説の中でのように自殺したりなどしなければ、人間としてもっとこなれて成長したちゅうことだろう。「先生」よりはマシ)(笑)、脳天気な「私」が先生に惹かれてなんとなくその生活を真似し出す感じも気色悪いし、まあ要するに、ウジウジジトジトして唯我独尊で反省のない(自殺するくせにどいつもこいつもものすごい自信に満ちている)、嫌らしい明治のインテリの見本市なのだ。 ほんとに、「行動」というと自殺くらいしかない。もっと他にすることいくらでもあるだろ! と思ってしまう。まあ実際、それこそが明治の知識人の不幸だったのかもしれないが、この小説とツルゲーネフ(「ルージン」)の一番の違いは、漱石の「先生」に対する有り余る哀惜の念。これがともかく気持ち悪くて、というかほとんど不愉快で、一方ではそれはこの「先生」という人物のリアルさ(つまり、小説としての技術の高さ)を示しているんだろうけど、それが同時にこの小説の価値を貶めているような気もしてならない。なぜなら、(私見だが)この「先生」なる人物の悩みそのものなどには何の価値もないのであって、この小説の価値は、こういう人物(およびそれを生んだ社会)を「描いた」ということにこそあるのだから。 最近は、これが中学だか高校だかの教科書に載っていたり、「読書感想文」の課題図書になってたりとかするらしい。いったいどんな感想を求めてるんだか。「親友にすまなく思って、裏切った自分を許せない先生のまごころに感動しました」なんて感想が出てきたら、国語の先生はいったいどうするつもりなんだろう。「こんな女々しい下らない連中はみんな銃殺か収容所送りにして、財産は没収すべきです」という答の方が、自分の中ではまだしも高得点だ(笑) 「近代日本文学の最高傑作」という人もいる。私小説なんかもそうだが、文学の価値って、いったいどこにあるのだろうか、と思う。そういうことを考えさせる小説だ。一方では、そもそも小説なんて、行動ではなくて、省察とか逡巡とか後悔とか、そんなようなものの領域に属すのかもしれん、という気もする。 いずれにせよ、ものすごい小説であることは間違いない。いつ読んでも、読み出したらとまらなくなる(笑)
なんか、正月休みに突然ふと思い立って、日本の近代文学を読んでみたりした。何十年かぶりに(笑)読み返すのもあったりして、この年になると、いろいろと印象もまた変わってくるもので。題して、大人の感想文シリーズ(注:単なる覚え書きです)。 島崎藤村の「破戒」。被差別部落出身者だっちゅうことを、言いたくてもなかなか言えない主人公の苦悩や疎外感は、ゲイの身にはなんだか似通ったものもある気がして、入り込みやすいと思う。しかしまあ、逆に言えば、「言っちゃいたい、でも言えない。でもやっぱり言いたい。それでもやっぱり言うわけにはいかない…」で実に300ページも引っ張る小説で、いくらまあ差別の実際の重みというものがあるにせよ、主人公の煮え切らなさにしまいにはイライラしてくる。「そんなこたぁ、とりあえず言っちまってから考えろ。でなきゃそもそも言うのやめろ」と言いたくなってくる。明治のインテリってめんどくさい(笑)。やや冗長に感じる原因のひとつには、主人公の性格に発展がないこともあるのだと思う。主人公の丑松は、知性も感性もすぐれた、感じのいい好青年だが、最初から最後まで、その人間的な特徴はほとんど全く変化しない。さまざまな出来事を通じて人間的に成長して、最後のクライマックスに自然にもっていくのが小説としてのやり方だと思うが、はじめからちょっと理想的な好青年に描きすぎたのが原因か、父の死や薄幸の少女との恋など、いろいろに散りばめられている出来事が、主人公の内面に「気分」以上の影響を及ぼしているようには見えない。なので、私淑していた同じ被差別部落出身の思想家の不慮の死をきっかけに、決意を固めて、皆の前で告白するというクライマックスのくだりが、なんだかあまりに唐突な、衝動的な心の動きに見えてしまう。さらに言えば、結末部分のちょっと明るい未来への希望が、主人公が呆然としている間に、すべて他の人の尽力によって生じるという筋書きも、ちょっとどうかと思わなくはない。もちろん、こういう好意的な人々が身の回りに知らず知らず集まっているというのも、とりもなおさず主人公の人格的な魅力を表すのだろうけれど、それにしても、現代の視点から言えば、もう少し主人公の主体的な行動力を結末にも示して欲しかったという気はする。畢竟、これは決してアンガジュマンの小説ではなく、あくまで、明治のインテリの視点から作り上げた、社会を「描く」小説ということなのだろう。しかし、そういうものとして見るならば、この時代にこうしたものを書いたというのはやはりすごいことだ。(藤村は自然主義の作家と目されるようだが、インテリの主人公の性格的な弱さと、そこからくる作品全体の効果の曖昧さは、ハウプトマンの自然主義時代の作品と奇妙に一致しているようにも思う)。 脇役の人物の造形は類型的で、個々のエピソードもやや紋切り型な感じがするが、これは逆に、話の筋立てをすっきりわかりやすく見せるのに役立っているとも言えるだろう。 しかしこの小説の最大の魅力は、なんと言っても風物の描写の美しさにあると思う。舞台となる信州の四季折々の雄大な自然の景観や、市井や農村のさまざまな人々の暮らしや習俗のひとコマを描く藤村の筆は冴えに冴えて、さすがは「若菜集」の詩人、みごとの一言だ。やたらに「ああ」を連発する装飾過多な文が多いけれど、しまいには、これでなくちゃあダメだ、と思えてきてしまうような名文だと思う。飯山の町に雪が降りしきるシーン、主人公と思想家たちの一行が、朝霧に閉ざされた野辺を行くと、次第に日が差してくるシーン、千曲川沿いの丘から、前衛の山々のかなたにそびえる北アルプスの山並みを遠く望むシーン、食肉解体工場(と今は言うのかな)の迫力のあるシーン、ぽんぽん思いつくだけでも、どれも絶品ぞろいです。
最近、テレビをほとんど見なくなってしまったんだけど、偶然見て今ちょっとはまってるドラマがあります。その名も、「ケータイ捜査官7」(テレビ東京系、水曜19:00-19:30)
高校生の主人公が、歩いてしゃべるロボットの携帯電話を相棒に、秘密組織のエージェントとして、サイバー犯罪者たちと戦うという、子供向けのアクションヒーローもの(笑)。なのだけど、視聴率は低迷しまくりで、夜7時台としてはほとんどやばいレベルらしい。
いや、そりゃそうだろ。子供にはたぶん何が面白いのか全然わかんないエピソードが連発しすぎる。押井守が監督した回とか、押井守が監督した回とか、押井守が監督した回とか(笑)。押井監督の回は、前後2篇計約50分のうち、肝心の動く携帯は全部で30秒くらいしか出てこなかった(机の引出しの中に放置されたままw)。「秘密組織」の他のメンバーも一切登場せず、「サイバー犯罪者」も全く現れず、ただひたすら、主人公の高校生があやしい謎の女と熱海のホテルで2晩一緒に甘い夜を過ごすお話。オモロすぎです。寺山修二に八百屋お七に「グラマン鉄工所」にトロツキーと、子供のみならず、大人だって、元ネタ知らん人には何が面白いか多分さっぱりわかんないんじゃないかと思う小ネタのオンパレード。対象年齢層を完全に無視した、コンセプトのよくわからない、やりたい放題な作り。いや、さすがはテレビ東京、やってくれます(笑)
要するに、自由すぎるくらい自由に作っているのだ。全体としての話の流れはもちろんちゃんとあるのだけど、基本的に一話完結スタイルで、各話の監督は相当好き勝手にやっていいように任されているようだ。この監督と脚本家、おそらく他のエピソードは全然見てないな、と思われる回もある(笑)(登場人物のキャラクターや言葉づかいまでコロコロかわってしまうw)。作り手のアイディアが自由にどんどん沸き出てくるような、すごく楽しんで夢中で作ってるなというのがよくわかる、このわくわくするようなハチャメチャ加減がオモロイのだ。テレビ東京、さすがなのである。
要するに、昔テレビシリーズの「エヴァンゲリオン」を初めて見たときに感じた面白さとちょっと似ている(あの時も偶然途中から見たのだけど、「なんじゃこりゃ」と思いましたw)。あの、そのジャンルの基本的な語法をあえてひっくり返して壊していく面白さ。てかこのドラマ、そもそも設定や雰囲気にエヴァンゲリオンをかなりパクってるところがあるように思うけど、「エヴァ」みたいに執拗に謎めかさないところと、コミカルな要素がずっと強いところは、こっちの方が楽しめる。あと、主人公の環境もこっちの方がずっと普通(笑)。
いや、実は、そんなことは全部抜きにして、ワタクシがこのドラマを毎回欠かさず見てしまう強力な理由がもう一つ。
…主演の窪田正孝君が
超絶カワイイ(爆) いや、役のキャラクターのせいも大きいのだろうけど、もうめっちゃかわいい。このブログで史上初めてフォントを大きくして色までつけてしまったほどかわいい。もうたまらん。夢中で絶叫してる真剣な表情がかわいい。ひねた感じでボソボソしゃべってるのもかわいい。怯えまくってあたふたしてる表情もかわいい。いつでも全力投球な感じのひたむきな演技にドキドキしてしまう。共演した女優さんの一人が、「ホント可愛い。こんな息子欲しいなぁ。毎日唐揚げとか作ってあげたいなぁ。マカロニサラダとか絶対好きだよな〜」と書いていたのを読んで笑ったのだけど、この気持ちはよくわかる。本人自身も、礼儀正しくて一生懸命な男であるらしい窪田君、天性の年上キラーだ。おっちゃんも、メシとかおごってやって、いろいろ話とか聞いてあげたい。そんな感じ(アホか俺は)。
しかしこの俳優、まだ20歳らしいが、演技はかなり上手いと思う。体の動きのキレもいいし、表情がものすごく豊かだし(特に怯えた顔は絶品w)、セリフの間のとり方も上手い。これからあちこちで活躍するんじゃないかな。今はまだ、表現過多な感じのする演技も目立つけど(子供向けアクションヒーローものとしては多分本来それが正解なのだけど、このドラマはそっからはみ出してる話が多いw)、かなり豪華な演出・共演陣に恵まれて(このメンバーは毎回ホント豪華。テレ東、やるじゃん、て感じw)、いろんなものを吸収して、ますますいい役者になっていくのを、お父さんは楽しみにしていますよ(誰がお父さんじゃ)。
実は今ならネットで全話見られる。こことか、
http://jp.youtube.com/profile?user=TwilightKong&view=videos こことか。
http://www.veoh.com/search.html?type=&search=keitai+sousakan&searchId=4450258231783627776 もともとの基本ストーリーをガッチリ繰り広げて行くシリアスな回なら(主人公の成長ぶりにキュンキュンできるw)、1,8,16,23話あたり、コミカルなおとぼけ回なら、12話(窪田君の演技最高。めっちゃ笑える)、27話(ゲストのほっしゃん。もいい味出してる)とかがオモロイ。他に、本題と全く関係ない短編ドラマ(というか、ほとんど短編映画といっていいクオリティ)として、鶴田法男監督の17話(反戦ドラマ)、 18話(本格ホラー)、押井守監督の19,20話(上記の、少年がオトナになる話w)あたりが個人的にはおすすめ。特に17話「遠い夏の空と」は、不覚にもオジサン途中でちょびっと泣いてしまいました(汗)。で、朝起きた後のハッピーエンドノリには、正直「えー?そっちいくか」と思ったのだけど、満を持しての織本順吉さん登場で、もう一度見事にやられました。たった1分にも満たない出番、わずか3言ほどのセリフ、あとはもうただ表情の演技だけで、見事にビシッとしめてくれました。ああいうのを名優と言うんでしょうな。窪田君の体当たりの演技も、ベテラン勢に引けをとらず堂々たるもので、静かで熱い、いいドラマになっていましたよ。これはホントおすすめ(
http://www.veoh.com/videos/v15567286p3BZnkYK?rank=14&order=cp&c=keitaisousakan7 または
http://jp.youtube.com/watch?v=y4dJeLlzDUg&feature=related )。
前にどっかのブログで読んで思わず笑ったのだけど、「ビミョーな人」。 「30過ぎてんのに、なぜか中学・高校時代の思い出ばかりをとうとうと語る人」 あはははは。これの何が面白いかわかんない人は、たぶんちょっと気をつけた方がいいです。世の中、大人になり切れないオカマばっかで出来てるわけではないよ(毒) さて、それとは全然関係ないのだけど、今日のグチグチは、「恋人募集」。いや、わかるよ。恋人が欲しいってのは、誰でも思うと思う。でも、「恋人募集」って、なによ。 こっちの掲示板とか見てると、「恋人募集」ってとても多くないですか? あれがよくわからない。てか、もうちょっと正確に言えば、あれで上手くいくのかがよくわからない。 あんな数行程度の情報で判断して、画像とかちょっと見て、電話で10分だか話して、で一度会って飯食って、そんで、「じゃあ付き合いましょう」ってなるのか? 中にはそういうこともあるのかもしれないけど、俺の感覚ではやっぱよくわからない。どういう人間だか全くわかってもいない相手と「付き合う」って、どういうことよ。中には、数行のメールと画像と一度の電話と一度の飯で、相手の全てがわかってしまうすごい人もいるのかもしれないけど(注:バカにして言ってます)、そんなことしてるから、1,2ヵ月後に別れました、とかなるんじゃねーの? 1ヶ月なんて、付き合ったうちに入らねーだろ。それは、「付き合った」じゃなくて、「セックスとかもしてみたけど、しばらくしたら相手の嫌なとことかもやっと見えてきたので、やっぱ付き合うのやめました」だろ。俺の感覚では、そこまでは「付き合う前」の話だと思う。 てか、そもそも相手のことを知るとか理解するとかも、必要でない人が多いのかな。俺の感覚では、「好き」というのは、相手のことをもっと深く知りたいと思う気持ちと一体だと思うのだけど、最近ではそうではなくて、単にセックスできてテキトーに時間をつぶせて、自分の言うことに何でも調子を合わせてくれる人に対する、「便利で居心地がいい」という気持ちのことを言うもののようだ。大体、「恋人募集」なのに、髪型がどうの身長がどうのって、しかもそれだけって、なんじゃそりゃ。それは「軽く話もできるセクフレ」だろう(「ロクに話もできないセクフレ」てのが存在するのもまた驚きなんだけどw)。大体、セックスそれ自体なんて、どんなタイプの相手だって10回もやれば飽きてくるだろ?(俺だけ?汗) 付き合うんだったら、大事なのはそっから先、というか、それとは別のところだと思うのだけど。大体、短髪だろうか長髪だろうが、何年かしたらハゲてくるかもしれないんだしw、体型だって変わるかもしれない。「恋人募集」なのにやたら外見のことばかりにこだわりが強い人って、おそらく今までまともに付き合ったことがないのかな、と思う。「飽きる」という状況を経験したことがないんだろう、たぶん。 まあ別に、人のことなんてエラソーに言えた筋合いでは全然ないのだけど(笑)、要するに、「友達でいいじゃん」と思うわけよ。俺のホントの不満はそこ。なんで「友達」になれないかなぁ、と思う。会ってみました、話してみました、でも好きになるタイプとはちょっと違いました、なら、友達でいいじゃん。イヤな奴だったとかならともかく、そうでないなら、ゆるーくでもそのままつないで仲良くしとけばいいじゃん、と思う。友達の友達がとても魅力的な奴だったなんてことは良くあるし(ホントに良くある笑)、恋人どうしなら別れてしまうことだって良くあるけど(ホントに良くある笑)、そういう時に「いてくれてありがとー」と思うのはやっぱ友達だ。ヘンな言い方だけど、たった1人の人に全てを求めてもそれは無理だ。しかも、向こうにとっても自分がそういう唯一の、全てを委ねられる人であることなんてあり得ない(もし自分のとこはそうだと思っている人がいるなら、その人は多分、相手がかなり無理をしていることに気がついていない)。 はじめっから1かゼロで、いきなり恋人になるか、さもなければ切り捨てて次の人に向かうか、なんてのはヘンじゃないのかなぁ、と思ってしまう。まあ、みんな忙しいのだろうけど、ゲイの知り合いはたった1人、恋人だけいればいい、って感覚はいまいちわからない。てか、それでほんとに、互いに心から信頼できる、長く付き合える彼氏が見つかるのならいいけど、そんなやり方では、そういう相手はたぶんいつまでたっても見つからない。長く付き合う相手を見つけるのって、そんな簡単なことじゃない。自分に対して、一人の人間としてきちんと向き合おうという努力すらしない相手のことなど、いったい誰が信頼したいと思うかね。
Не жалея о сгибшей надежде,
Я сумею тебе подпевать.
(Есенин)
消え果てた希望を嘆くのはやめて
わたしもお前の歌に声を合わそう
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さて、何の関係もないのだけど、個人的にコントが上手いなぁと思う芸人さんは、サンドウィッチマンとインパルスです。サンドウィッチマンは漫才の大会で優勝したけど、あれはやはり基本的に漫才ではなくてコントだと思う。
http://jp.youtube.com/watch?v=r9W0pv4Wo6Y 「業者か俺は」が個人的にツボ。(^^;
派手さはないけど、どのネタも安定感があって安心して聞いてられるのがよいなぁ、と。あと、特に新しくもないけど、古くもならない感じがするところが好き。要するに、はやりすたりにあまり左右されずに、長く続けていけるスタイルだと思う。テレビ向きじゃないし、バカ受けはしないけど、いつまでも生き残って行く感じというか。急にブレイクしてあっという間に消えて行く若手の芸人さんたちなんかには、このスタンスやテクニックをうらやましく思う人も多いんではないか、と。
一見オーソドックスなスタイルに見えるけど、よく考えてみたら、ツッコミのテンションがこれほど低いコンビも珍しいと思う。やたらにやかましいだけの、勢いだけのツッコミが多い中で、絶妙な間のとり方とか、伊達君の技術はしっかりしている。富澤君のネタもよく練ってあるし、さすが、ダテに10年も下積みやってないですな。(^^;
インパルスのコントも、(基本的には全て同じパターンのものばかりのような気もするけど)、必ず笑えるところが何ヶ所かはあって、安心して楽しめる気がする。
http://jp.youtube.com/watch?v=OX1JU1VipdY このネタは特に、最後までいわば一つのボケで押し通すパターンで、それで全体のつじつまがぴったり合ってしまうところが見事。このうまいオチにはホントにわらかしてもらいました。
板倉君は最近テレビではピンでネタをやってるのも見るけど、ピンネタも十分面白い。ただ、よく噛むし、セリフ回しなんかは堤下君の方が上手い。コンビでのネタがこれだけうまく盛り上がるのは、堤下君の技術によるところも大きい気がする。これなんか、堤下君のうまさがよく出てると思う。
http://jp.youtube.com/watch?v=CcfQntQWOEQ デビューしたての頃の映像とか改めて見ると、インパルスはもともとツッコミの入り方がもっと遅かった。そのあとだんだん食い気味に入れるようになってきて、スピード感が出てきた。上のウェイトレスのネタなんかだと、ほとんど全てのツッコミが食い気味になっているけど、どちらのセリフもちゃんと全部聞き取れるぴったりのタイミングで入ってくる。よく練習してるのだと思うし、素直に上手いと思う。
ただ、インパルスはフリートークがギクシャクして上手くない。どちらも、他の芸人と絡む時はそれなりに面白いのに、2人だけで話すとグダグダになる。基本的に性格が違いすぎるというか、たぶん、仕事を越えたところで仲良しというわけではない2人なのだろう。ネタが面白ければ十分とは思うが、最近の芸人さんたちは素の親しみやすさや仲良し感まで求められて、ちょっと気の毒だとは思う。そういう点では、もともとお笑いを始める前から仲良しだったコンビの方が、2人でのトークがなめらかで面白いのは、まあ仕方がないことなんでしょう(ライセンスとか、ロザンとか、チュートリアルとか)。
コントと言えば、「誤解」で引っ張り続けるアンジャッシュのコントとか、ホントに見事だと思うのだけど(この2人は見せ方自体もとても上手いと思うし)、すげえなぁ、と感心するのと、わはは、と爆笑するのとは、なぜか微妙に違うような気もしてしまう。この辺は、好みにもよるんだろうけどね。アンジャッシュのコントは、ホントに上手いと思うし、面白いとも思うんだけどなぁ。なぜか自分はサンドウィッチマン(や、コントじゃないけど、例えばノンスタイルの漫才とか)ほど笑えない。やっぱお笑いは理屈じゃない部分があるんだろうなぁ。
http://jp.youtube.com/watch?v=p7HbB3EYWAE&feature=related http://jp.youtube.com/watch?v=ttvxkawc-h4&feature=related そうそう、あと、堤下君、富澤君は、見た目的にもちょっとイケてしまうところもグッドw
いや、これはね、それこそ人それぞれ、単に好みの問題だと思うし、タイトルほどでかい話でもないです笑。ひとことで言うと、「エロい話しか話題がない人」。 いや、俺だってエロは好きだ。てか、大好きだ。男なんだから当たり前だ、と思っている。「セックスなんて不潔だ」みたいな顔をして、猥談にはやたらノリが悪くて、そのくせ家では毎日ビデオ見ながらオナニーしてるような気色悪い奴(笑)よりは、エロばっか、な奴の方がよっぽどマシだとは思う。しかし、メールでも電話でも、年がら年中セックスの話ばっかの奴は、さすがにちょっと疲れてしまう。 エロ「ネタ」ならいい。こんなヘンな経験があるとか、こんなオモロイ奴がいた、とか。そうじゃなくて、なんというか、一対一の「バーチャルセックス会話」(笑)みたいな感じにもっていこうとする奴。具体的には、「今裸でおったててます」とか、「ぶち込んで欲しいっす」とかいう一行メール(汗) いや、ええねん。お互いそういうノリになる時とかはあるねん。俺も、内心どっかで苦笑しながら、実際そういうこと言われたら自分もおっ立っちゃって、アホみたいなメール返すときもようあるねん(笑)。それはそれで楽しいねん。んでもな、毎回毎回そればっかだとなぁ。普通の世間話とか、趣味の話題とかプライベートのこととか振ってもぜんっぜん食いつき悪くて、すぐ「ぶち込んでください」とか言われてもなぁ。正直「アホちゃうか」とか思ってしまう。(^^; なんというか、まず、共通の話題がエロしかないちゅうのはつまらん。実際、いろいろ話して、人間としてこいつすげーな、と思えるような奴が、ベッドの中では恥ずかしそうに自分の言いなりになったりするのに、俺としては激萌えなわけで(あ、これは単に個人的な好みです笑)。人としての深みとか、素の人柄とかが全く見えないような相手には、正直それほど萌えない。どんだけ外見タイプだって、中身に魅力を感じない奴とは、3回もやればもう飽きる(てか、最初の一回から、イった直後にビミョーな気分になる気がする)笑 それから、一番肝心なこととして、セックスはするもんであって、それについて語るもんじゃない。メールでも電話でもそうなんだが、「そんなこと話してる暇あったら、実際にヤろーぜ」と思ってしまう。「**が○○の××に△△して」とか言葉で言われたって、経験のない中学生でもあるまいし、今さら興奮なんてしやしない。実際にやんなきゃ意味ないだろそれ。中でも一番意味わかんないのはテレホンセックスで、さすがにこれだけは遠慮させてもらってるのだけど(てか絶対笑っちゃうだろ途中で)、不思議なことに、メールやら電話やらでやたら「エロモード全開」(笑。ちなみにこれもバカにして言ってます。なんだよ「モード」って。エロいのもシリアスもどっちも自然な自分で、同時にあって何もおかしくないもんだろ)になる奴に限って、じゃあ実際やろうぜ、となると、とたんに腰が重くなる奴が多い。なんじゃそりゃ。単に想像してるより、実際にやる方が絶対気持ちいいと思うけどなぁ俺は。てかそもそも俺は現実にいるこの俺であって、お前の妄想の産物とかじゃねえんだけど(笑)
飲み屋に行く人だと、その場で知り合うということも多いのだろうけど、自分はめったに飲み屋に行かないので、こっちの人と新しく知り合うのはどうしてもネットが中心になる(友達の紹介、というケースもあるけど、多くはない)。昔に比べるとネットでの出会いがずいぶん便利になったとは思うけど、なんとも不思議な習性(笑)に出くわすことも多い。 「習性」、と書いたが、ほんとにそんな感じ。一人や二人ではないのだ。確実に、この行動パターンを本能的にとる「種族」がいるものと俺は見ている(笑)。今日の不思議は、「予定が立たない人たち」。 ネットで知り合ってしばらくメールなどで話していると、「近々会いたいですね」みたいなメールが来る。で、「そうだね。俺のほうは例えば、来週なら*日とか*日なら大丈夫だよ」と返事を出すと、とたんに反応が異常に鈍くなる。それまでうるさいくらい、一日に何通もメールが来ていたのが、ふいに2、3日なにも来なくなる感じ。会いたい会いたいと自分から軽く口にするくせに、具体的な話になったとたん、急に腰が引ける。 これには二つのパターンがあって、一つは、こっちから提案した日だと都合が悪い場合。もう一つは、自分から誘ってきたくせに、いざとなると急に度胸がなくなるケース(H前提みたいな話の流れだと多い汗)。 …どっちも大迷惑だ。(^_^; てかさ、都合が悪いなら都合が悪いで、返事くらいよこせ。こっちは言った手前、一応そこあけて待ってるんだからさ(笑)(最近は2日待っても返事がない場合はもうあけとかないことにしてるけど。「まだ予定が読めないんで、もうちょっと待って」でもいいんだしさ、とりあえず何かリアクションは返せや)。 最悪なのは、急に度胸がなくなる奴。小学生じゃないんだからさ、はじめっからそのくらいの覚悟は決めてから誘って来いや。てかそもそも、自分と同じような一人の人間に会うってだけのことだろ? そんなごたいそうなことでもないだろうに。なんだろうね、いきなり襲われるとでも思ってんだろうかね。自分に気がない相手に誰が手なんか出すもんかね(笑) てかさ、勝手に自分の中で逡巡するのはけっこうだけど(青春だね〜笑)、相手をそれに巻き込んで振り回すのは迷惑だってことが、なぜにわかんないかね。バカだからか? そうだろうなぁ(毒) 同様のケースとして、「部屋に行ってみたいな」みたいなことを書いたときの反応がある。これはこちらとしてもかなり踏み込んでることは承知の上なので、上に書いた、「いついつ会おうか」というやりとりとは少し性質が違うとは思うけど、だんまりになる奴がけっこう多い気がしている。まあ、これについては、向こうにも言い分がいろいろあろうということはわかるけど、オジサンとしては、「単に希望を述べているだけなんだから、イヤならイヤでいいじゃん」と思うわけである。「それはちょっとまだ早いと思う。外で会うのがいいな」みたいな返事がくれば、内心では、「別に部屋に上がったからって必ずHするわけでもないのに(苦笑)」とか思いつつも、気持ちよくすぐに「おっけー。じゃ○○でメシ食って**あたりをちょっとブラブラする感じでどう?」とか返信できる。はっきり断るのが気が重いとかいう繊細(これは俺的にはバカにして言ってますw)な人なら、例えば「部屋散らかってて片付けるの面倒だから」とか、「明日はサーカスがうちに来るから入れない」とかでもいい。これが「来て欲しくない」という意味だということは、まともな男ならすぐにわかる。いきなり黙るのは、あまりにあからさまでバカっぽすぎて、しかも相手はイライラするし(いちおう返事を待ってるわけなので)、一番よくない。だいたい、はっきり断れないというのは、要するに相手を不機嫌にするのが怖いということなのだと思うのだけど、返事もしないで黙っているということの方がよっぽど相手には不愉快だということがわかっていない時点で、もうあまりのバカさ加減にうんざりだ(毒)
「バカは嫌い」とか、ものすごく感じの悪いこと言ってますけど、自分の考える「バカ」てのは、ものを知らないとか、そういうことではないです。 俺の考えでは、バカ=他人を尊重しない奴。もっと正確に言えば、バカ=自分を大事にして欲しいと思うなら、まず相手を大事にしなきゃ誰も大事になんて思ってくれねーよ、てことに気づかない奴。 まあ、ただね、男の場合は特に、相手がモロタイプだった場合には、人間としてこいつはちょっとどうかと思っていても、心から大事にしてやりたいとかふと思っちゃうところが問題で(笑)、そこから、モテる奴ほどバカになりやすいという悲しい事態が生じるわけで(苦笑)。なんだろね、ありゃ。まあ、自分が一切気を使わなくても他人が気を使ってくれるというのは、楽は楽なんだろうな。モテない俺にはようわからんが(笑)。てか、俺はそれってみっともないと思う。 なんかね、礼を失した奴って、頭悪いと思っちゃうんだよね。みっともないことしてるのに気づいてないって言うか。ホントに小うるさいオヤジみたいで申し訳ないんだけど、すごく細かいことで、例えば、SNSでメッセージのやり取りをしてて、「そろそろ直アドの交換しませんか?」とか、「画像送ってくださいよ」とか言ってくる奴。 まあ、別に大したことでもないから、要望通り送るんだけど、で、そうすると相手からも大体すぐに返ってはくるんだけど、そんでもやっぱどっかで、「自分の方から送ってこいよ」と思うわけよ。互いに同じリスクを負うなら、自分の方から背負いにいく方が、男としてはカッコいいと思う。ましてや、相手にだけそれを先に要求するなんて、みっともないにもほどがある。その度胸がないなら、そもそも相手から言い出すまで待つべきだ。利益はとことん得たいけどリスクは一切負いたくないなんてのは卑怯で、俺の考えでは、男として一番ロクでもないのが卑怯者だ。こういうことをする奴に出くわすと、どんなに見た目イケてても、内心どっかで「下らない奴だなぁ」と思ってしまう。セックスの相手としてはいいかもしれないけど、惚れたりすることはないね。
続きです。 いや、要するに(当たり前のことなんだけど)、マイミク=友達ではないんだなぁ、と。 「つながった」きり、別になんのやりとりをするでもなく、お互いに、相手の言ってることや考え方に大して興味があるわけでもないのに(顔や体には多少興味はあろうが)、「日記」を読んでくれないだのコメントしてくれないだので、何だか恨みがましく思ったり(実際、メッセージを送ったら、「メッセージ書く暇あるなら、日記にコメントしてよ」みたいな返事がきて驚いたことがあった。なんじゃそりゃ。あんなところでおざなりなコメントに取り囲まれてれば、充実した人生を送ってるような気になれるのかな)。 俺の好きなライセンスのいのもっちゃんも言ってたぞ。「ミクシィで友達でけたーとか言ってる奴おるけど、それってほんまにオモロイんか? あんなん、友達おらん奴がやってるんやろ?」 よう言うた井本! あんたやっぱすごいわ。俺も大して友達おらんけど(笑)、ミクシィはおもろないと思う。 エセーニンは「天国はいらない。ふるさとが欲しい」と言ったが、俺は「マイミクはいらない、友達が欲しい」って感じ?(くだらねー) やだねー、エラそうなこと言ってるけど実は寂しいオヤジ(爆) まあでも、「マイミク」ではないけどフツーに友達づきあいのできる、こっちの世界の数少ない貴重な友達には、ほんと感謝してるし、大事にしていきたいもんだと思います。 実際、ゲイの世界では、ちゃんと付き合っていけるいい友達を作るのは、彼氏作るよりずっと難しい気がする。
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